「ひらがな」「カタカナ」の由来
「ひらがな」「カタカナ」
の由来を話す前に、
まずは
▶日本語が
・どうした経緯で
・文字を持つようになったのか、
について、見ていきます。
そして、次に
▶「ひらがな」「カタカナ」が
・どう誕生したのか、
を紐解いていきます。
日本語は、どうして文字を持てたのか?
地球上の言語の数
ー文字を持つ言語と持たない言語ー
現在、
地球上に存在する言語の数は諸説あり、
3000とも8000とも
言われています。
3000と8000とでは
その数が
あまりにも違いすぎます。
おそらく
言語をどのように数えるか
といった
数え方の基準の違いにより、
こうした差が出るのだろうと思います。
それにしても、
膨大な数ですね。
ところが、
文字を持っている言語は
いくつあるのか、
という話になると、
全く違ってきます。
文字を持つ言語は
なんと約400へと激減します。
膨大な言語の海の中で
文字を持つ言語が
いかに少ないか、
文字を持つということが
いかに難しいか、
ということを
この数字が
歴然と示しています。
言語は、どう文字を持つのか?
言語が文字を持つには
どのような方法があるのでしょうか?
一つは
①新たに文字を創造する
二つは
②他の言語で使っている文字を借りてくる
この二つがあると思われます。
日本語の場合は
他の言語で使われている文字を
借りてくるという方法を選択しました。
その文字が「漢字」です。
日本人は、いつごろから漢字を文字として
認識し始めたのか?
では、日本人は
いつごろから漢字を文字として
認識し始めたのでしょうか。
詳しいことはわかりませんが、
確実なのは
やはり邪馬台国(やまたいこく)の時代、
紀元3世紀ごろだと思われます。
『魏志倭人伝(ぎしわじんでん)』
によると、
このころには、
日本と中国との間に
使節の往来があったことが記されています。
(邪馬台国の女王卑弥呼が、
魏王朝に朝貢したと書かれています)
・図表:魏志倭人伝原文
当時、
使節の往来、つまり
外交関係があったということは
互いに外交文書を
取り交わしていたことになります。
この事実は
邪馬台国や(あるいは
それ以前の日本の国々)には、
漢字を理解し、
文書を取り扱うことのできる人々がいた、
ということを示しています。
つまり
邪馬台国時には
すでに
漢字を文字として認識し、
活用していたということです。
漢字の導入から「ひらがな」へ
6世紀から7世紀にかけて、
日本は
中国大陸や朝鮮半島から
儒教、仏教、道教などを
積極的に取り入れ始めます。
そして
こうした思想や宗教を吸収し、
血肉化するために、
遣隋使や遣唐使を次々に派遣しました。
彼らは
隋や唐から様々なことを学び、
その知識を還元すべく、
苦学の末、日本に戻ってきました。
7世紀になると、彼らのおかげで
日本では漢字の識字層が
どんどんと広がっていきます。
しかしながら、
漢字は中国の言葉です。
そのため
日本の言葉を
漢字だけで表現しようとすると、
どうしても
うまくいかないことが
起こります。
漢字だけでは
日本の言葉を十二分に
書き記すことができないのです。
「漢字だけでは足りない」
という、その歯がゆさが
ひらがな誕生へとつながっていきます。
ひらがな誕生前夜
「万葉仮名」を創作
漢字だけでは
日本語を表現しきれない、
という思いが
「万葉仮名」を生み出します。
「万葉仮名」は
見かけは今までと同じ漢字です。
ですが、
その漢字を意味と音とに分解し、
その音だけを使うという
画期的な手法を編み出したのです。
それこそが「万葉仮名」です。
つまり、
「万葉仮名」は、
漢字を使って日本語の音を表したものです。
例えば
「安全」の「安」という漢字を書いて
「あ」と読ませます。
(「安=あ」)
そして
この「安」には意味がないのです。
「あ」という音だけを表すのです。
「万葉仮名」誕生の詳しい年月日は
わかっていません。が、
専門家によると
7世紀には
すでに使われ始めていたそうです。
8世紀に書かれた
『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』
といった書物では、すでに
万葉仮名が使われています。
この漢字から意味を切り取り、
音だけを利用した
「万葉仮名」こそが
「ひらがな」と「カタカナ」の
もととなるのです。
・図表:万葉仮名から「ひらがな」へ
では、
どうして「万葉仮名」と
呼ばれているのでしょうか。
万葉仮名の言葉の由来
万葉仮名は、
奈良時代の「万葉集」の中で
よく使われていました。
そこで、
「万葉」という名がつけられました。
万葉集で使われていた万葉仮名の例
持統天皇の香具山の歌
<現代文>
春すぎて 夏きたるらし 白妙の 衣干したり 天の香具山
<現代語訳>
春が過ぎて、夏がやってきたらしい。真っ白な衣を干している。
天(あま)の香具山(かぐやま)よ。
<注釈>
「香具山」は奈良県橿原(かしはら)市にあります。
天から降ってきた山という伝説もあるほど、
神聖な山とされていました。
そのため、香具山に「天(あま)の」という
ほめ言葉がついています。
<万葉集に載っている漢字文>
春過而(はるすぎて) 夏来良之(なつきたるらし)
白妙能(しろたえの)衣乾有(ころもほしたり)
天之香具山(あまのかぐやま)
春過而→春以外の文字、
過、而が万葉仮名となります。
図表:百人一首、持統天皇の「天の香具山」の歌
万葉仮名から「ひらがな」へ
万葉仮名は1つの音に
いくつもの漢字を当てていたり、
人によって
当てる漢字が違ったりもしました。
そこで、
種類も多くなり、
また、
形が複雑で
書くのが難しいものもありました。
画数が多いと
長文を書くには不便です。
そこで「万葉仮名」を
くずしたり、省略したりすることで、
「ひらがな」「カタカナ」
が生まれてきます。
・「ひらがな」は
・万葉仮名の草書体を
・さらにくずして作ったものです。
・「カタカナ」は
・万葉仮名の一部を抜き出して
・作られました。
例えば
カタカナの「イ」は
「伊」という漢字の、
人偏の部分を使ったものです。
・図表:万葉仮名から「カタカナ」へ
「ひらがな」「カタカナ」は、
9世紀ごろから
使われるようになったと言われています。
ひらがなの誕生
平安時代に入り、
万葉仮名が「ひらがな」に変化
平安時代
平安時代とは
都が奈良の平城京から京都の平安京に移り、
鎌倉幕府が誕生するまでの
約390年間です。
(西暦794年~1185年)
平安時代に入り、
万葉仮名はますます発達し、
体系化され、
「ひらがな」になっていきます。
「ひらがな」は
女手(おんなで)とも呼ばれていました。
どうして「ひらがな」を
女手と呼ぶようになったのでしょうか?
なぜ「ひらがな」を
女手(おんなで)と呼んだのか?
当時の貴族社会において
公的な場面で用いるのは
漢字でした。
漢字は
主に男性によって
公文書や学術のために
使用されていたのです。
それに比べ
「ひらがな」は
・私的な場面で使う文字
あるいは
・女性が使う文字
として認識されていました。
「ひらがな」が
女性が使う文字として
認識されていた証左として、
『土佐日記』(935年頃)を
挙げることができます。
『土佐日記』は男性である
紀貫之(きのつらゆき)の書です。
紀貫之は
この日記を「ひらがな」で書くために、
女性を装っていました。
花開く女流文学
「ひらがな」が誕生し、
格段に使いやすくなったことで、
用いる人が激増します。
「ひらがな」は
主に
手紙や和歌、物語、随筆などに
用いられ、
女流文学が花開く契機となりました。
清少納言の『枕草子』(1001年ごろ)や
紫式部の『源氏物語』(1008年頃)などが
好例です。
(紫式部イメージ図)
「カタカナ」の誕生
「カタカナ」は、
万葉仮名の一部を切り取って作られた
ということは、
上記で述べたとおりです。
では、
「カタカナ」は
どうして誕生したのでしょうか?
それは
宗教と密接な関係があります。
僧侶は
宗教を極めるため、
経典を学ばなければなりません。
その経典は
全て漢文で書かれています。
僧侶たちは学びのため、
経典の行間に
読み方などのメモを書き入れていました。
そのときに、
形の複雑な「万葉仮名」では
経典の行間が狭いため、
書き込むのが難しかったのです。
そこで、9世紀ごろから
「万葉仮名」の一部だけを
行間に書き込むようになりました。
これが
「カタカナ」の始まりと言われています。
だいぶ長くなってしまいました。
今回は
ここまでにしますね。
*カタカナの由来について知りたい方は
・以下をクリックしてください。
→外来語はどうしてカタカナを使うのか
・外来語は
ではではニゴでした。