重言について

「重言」
何と読むかご存じですか?

 

「じゅうげん」と読みます。

では、どんな意味でしょうか。
「重なる言葉?」「重ねて言う?」「二重の言葉?」

そうです。
「重言」とは重複する表現のことです。

 

例えば
本に来する」

意味は分かるけれど、
違和じます。もとい、違和感を覚えますよね

 このように、重言とは
本来一つの言葉だけでわかるものに、
同じ意味の言葉を
重ねて使っている(二重)表現のことです。

重複表現は知らないうちに使ってしまいがちです。

びっくり仰天」や「過半数を超える
などといった言葉は
自然と口から出てしまう方も
いるのではないでしょうか。

なぜ「びっくり仰天」を使いたくなるのか・・・?
それは:
意味は重なってはいるけれど、
同じような言葉を、並べて使うことで、
その意味を強調していると考えられます

 過半数を超える
すでに定型句として定着しているとも言えます

 このように重言は日常的に使われるものもあり、
「絶対にまちがい!」とは
言えなくなっている表現もあります。

 

重言:話し言葉と書き言葉

中学か高校の時の、国語の時間に
こんな例を習いませんでしたか?

山中に、
武士からちて落馬した・・・」

こうなると、同じような言葉が多すぎて、
意味がとれなくなってしまいます。

一般的に重複表現は好ましくない、とされています。
特に、書き言葉の場合、
から落する」は
重複によって意味がとりづらくなる、
というよりは、読んだ(見た)ときに
表現がうるさく感じてしまいます。

書く時には細心の注意を払いましょう。

一方、
話すときには
「きちんと伝わる」ことが重要です。

誤解されないようにするための重言は
そう目くじらを立てる必要はないでしょう。

例えば
「いま現在」

普通は「今」か「現在」かの
どちらか一方を言えば意味は通るのですが、
強調したいときもありますよね。

 

連日、寒い日がつづいていますね」

これも、毎日、毎日、寒いと実感しているときには
使いたくなります。

また、
次のような表現はどうでしょうか?

 

これって本当に重言?

  • ってください」
  • 「ほらほら、もっとけ声をけて!」
  • 「直木を受したんですって!すごいですね~」
  • 最後切り札

 

こうした表現は
「重言だ!」という方もいるようですが、
すでに、日本語としてなじんでいるなあ、と感じます。

これを「あからさまに、不適切だ!」とするのは
ちょっと違うのではないかと思っています。
(これについては、またあとで言及します)

 

日本語学習者と重言

日本語学習者は
日本語を母語とする子供とは違います。

周りの人の言葉を聞いて
長い年月をかけて
日本語を習得するのではありません。

様々な表現を、
多くの場合は第二言語として、
ゼロから学び始めます。

せっかくゼロから始めるのですから、
教える側としては
なるべく回りくどい表現は避け、

簡潔で、美しい日本語を
教えていきたいですね。

そこで
重言の例を挙げる前に、
どうして、私たちが重言を使ってしまうのか、
その理由を考えてみます。

 

どうして重言が起こるのか?

漢字には音読みと訓読みがあります。

漢字一字のもり」(訓読み)
熟語の林「しんりん」(音読み)

 

では
から落した」
この文を音だけで聞いてみます。
うまから、らくした」

すると
この文中では
同じ漢字が「訓読み」と「音読み」とで使われており、
音が「うま」と「」とで、異なっているため、
二重表現となっていることに、気づきにくいのです。

「あとで後悔した」も同じです。
漢字で書くと「悔した」となります。

「後悔」という語そのものが、
あとで悔やむ」ということです。

そこで
悔する」は重複表現となってしまいます。
音だけだと、気づきにくいですよね。

以下に漢字の音読み・訓読みから生じる
重言の例を記載します。

漢字の音読み、訓読みから起こる重言

1)明らかに不適切な重言の例

が変する   ・式をげる

力をくす   ・を見げる

事をす    ・に乗する

・頭い    ・おを入する

見 ・炎天(もと)→炎天下

 

2)不適切かどうか、微妙な重言の例

・違和じる→違和感を覚える・・・

害をる→被害を受ける、被害に遭う・・・

罪をす→罪を犯す、過ちを犯す、犯行に及ぶ・・・

 

熟語と、その熟語と同じ意味を持つ動詞の組み合わせ
から起こる重言

過半数超える

 熟語「過半数」は「半数を超える」という意味です。
すでに過半数の中に、「超える」という意味を含んでいます。

そこで
「過半数を超える」は
重言だと言われてしまいます。

意味を強調したいときには
使ってしまいそうですし、
話し言葉では
使っても問題ないのではと思います。

ただ、書き言葉の時には
「過半数に達する」
「過半数を占める」
などと書いておけば間違いないでしょう。

あらかじめ予約しておく

 「あらかじめ」を漢字で書くと
「予め」となります。

つまり、書き言葉では
約しておく」となり、
うるさい感じがします。

話し言葉では、
あまり問題にならないとおもいますが、
書く時には
予めをひらがなで「あらかじめ」と書く、
あるいは
「前もって予約しておく」などを
使うといいですね。

文字は違うが、
意味の同じ漢字を重複して使ってしまった重言

・満面の笑顔

 「面」は顔のことですから、
顔が二つ登場しています。これは

「満面の笑み」を使います。

 

・満天の星空

 同様に満天の星空も
「天」と「空」が被っているので、
「満天の星」を使います。

次は
意味を正確に把握していないため、
に起こる重言です。

 

(意味を知らなくて)言葉を重ねてしまう場合

・元旦の朝

 元旦の「旦」という字は
太陽が地平線から現れるところを意味しています。

そこで
「元旦」で元旦の朝という意味になります。

年賀状などには

○○年 元旦

のように、朝を入れずに書きましょう。

 

・クリスマス・イブの夜

 クリスマス・イブのイブは「夜」を意味しています。
そこで、クリスマス・イブの夜というと
夜が重複してしまいます。

イブが夜の意味だということは
日本人は、あまり意識していないと思いますが、

「クリスマス・イブの」の「」は
本来の字義から、書かないほうがすっきりします。

 

ただ、「フラダンス」の「フラ」も
「ダンス」という意味だと、聞いたことがります。

外来語の使い方は難しいですね。

 

・「後ろから羽交い絞めにする」

また、スポーツの言葉も難解です。
「羽交い絞め」(はがいじめ)という
格闘技の技は:

背後から相手のわきの下に通した両手を
首の後ろで組み合わせて、動けないようにする技

だそうで、「後ろから羽交い絞めにする」は、
変な表現だそうです。

「羽交い絞め」は後ろからしかできないからです。
「後ろから羽交い絞めにする」は
「後ろから」を取りましょう。

 

・断トツの一位

 この「断トツ」とは
「断然トップ」を略した言い方です。

「トツ」とは「トップ」のことです。
そこで、
トップ(トツ)と一位が重なってしまいます。

 

・「全て一任する」

「一任する」の意味が:
ある事柄について、全てを任せること

とあるので、「全て」を加えてしまうと、
意味が重複してしまいます。

会社で使うことの多い言葉です。
気を付けましょう。

 

・内定が決まる

 「内定」とは:

正式に発表されていないが、
内々には決まっていること。
内輪で決めること、また、その決定、
と辞書には記載されています。

「内定」で内々に決まったことなので、
「内定が決まる」は意味が重なってしまいます。

「内定をもらう」「内定を出す」・・・
のように使う方がスマートです。

 

日常生活において
重複している言葉は意外に使っているように思います。
(私だけか・・・・???)

 

「正しい使い方」といったものは
時代とともに変わっていきます。

ただ、「明らかに重なっている」とわかるときには
わざわざ二重表現を使うこともないでしょう。

特に「書く」場合には
きちんと推敲したほうがいいですね。

日本語学習者に教える場合には
特に気を付けようと思います。

最後に

「最後の切り札」は重言か?

 明鏡国語辞典では
「重言のいろいろ」というコラムで
重言を三つに分類しています。

(1)は不適切な重言
(2)(3)は、不適切とは言えない重言です。
つまり、使ってもいい表現となります。

不適切な理由

(1)
・言葉を重ねて言う意味がない。
・表現が冗長になる。など、
一般に不適格とされているもの。

(例)大豆豆(だいずまめ)
(例)馬から落馬する、など

使ってもいい理由

(2)
・意味が不明確になる。
(重言にすることで、意味が明確になる)
・強調される。
・新しい意味が加わる。
・そもそも意味の重なりではない。

上記のような適当な理由があって、
「不適切」ではない重言の使い方です。
(つまり「適切な重言の用法」です)

例は載っていなかったのですが、
フラダンス、アンケート調査、リゾート地、
などは、その最たるものではないでしょうか。

 

(3)「~を」に、
<動作・作用の結果に生じたもの>がくる。
結果目的語の適切な用法

(例)産をす→「遺すことによって、遺産を作り出す意」

 

仁子(にご)の私見

 「最後の切り札」

 「最後の切り札」は重言で不適切だ、
という意見があります。

「切り札」とは:
トランプで他のすべての札を負かす力を与えられた札
とあります。

「切り札」が一枚しかない場合、
「最後の切り札」の「最後」は
意味が重なり、不適切となるかもしれません。

ただ、
ほかを圧倒する札が、複数あってもいいのでは・・・?
と思います。

特に「切り札」をトランプ以外のことに、
比喩として使う場合、
「有力な方法」は
2つ、3つあるのではないかしら?

「最後」をつけることによって、
「最後」に出す、極めて効果の高い方法、
ということで、使えるのではないかと思っています。

つまり、
『明鏡国語辞典』の重言の解釈の(2)にあたります。

 

「歌を歌う」

これも一見重言のようですが、

・アニソンを歌う
・シャンソンを歌う
・JPOPを歌う

のように言えます。
「歌を歌う」
他の表現が考えにくく、
産をす」が適格なように、
使ってもいい重言だと考えます。

ただ、

物をてる
りを

のように、
同様の表現を並べると
文章として、稚拙な感じがしてしまいます。
間違いではないけれども、美しい表現ではないですね。

やはり、書く時には
家を建てる、のように
建物の部分を具体的に書くとか、
違う表現にするとか、した方がすっきりします。


「一番最初」

最初とは一番初めのことです。
そこで、一番最初は重複表現となります。
「最初」だけでいいということになります。

ですが、
話し言葉ではよく使ってしまいます。

やはり、
「最初」と「一番最初」では
言葉のパワーが違ってきます。

最初を強く言いたいとき、
「一番最初」を使うのでしょう。


「二度と再び」
という慣用句があります
これも、「二度と」では言葉の力が足りない!
という思いが
慣用句になったのではないかと思います。

「一番最初」も、
『明鏡国語辞典』の重言の解釈(2)の
強調表現としていいのではないかと、考えます。

 

言葉って、本当に難しい!
だから面白くもありますね。

皆さんはどう思いますか?

 

 

ではではニゴでした。

サブコンテンツ

このページの先頭へ