外来語は、どうしてカタカナで書くのか?
前回は
「ひらがな」誕生について書きました。
最後の方では
カタカナ誕生についても、
少し触れています。
「ひらがな」誕生について
ご覧になりたいときは、
以下をクリックしてください。
さて、
今回は
「カタカナ」にスポットを当てていきます。
日本人、文字と遭遇す
話し言葉はあっても、
文字を持たない言語は
意外と多いものです。
古墳時代以前の日本は
どうだったかというと
もちろん、
人と人が会話をする話し言葉は
ありました。が、
紙に書くような文字は
持っていませんでした。
そこで、
日本人にとって
文字との最初の出会いは、漢字だったのです。
初めて漢字を見た日本人は
どう思ったのでしょうか?
意味は
もちろん理解できなかったでしょうし、
読み方に至っては
さっぱりわからなかったはずです。
ただ、
その難解な漢字には
習得するための
お手本があります。
それを
『千字文(せんじもん)』と言います
千字文とは?
千字文とは
中国の梁(りょう)の時代に、
武帝(在位509年~549年)が
周興嗣(しゅうこうし)に命じて作らせた、
文字習得のための教材です。
書聖と呼ばれた、
王羲之(おうぎし)の筆跡を模写して作られ、
書道のお手本として広く利用されていました。
1000字の異なる漢字を使い、
250の4字句からなる韻文で構成されています。
『千字文(せんじもん)』日本に伝来す!
この漢字を習得するためのお手本
『千字文(せんじもん)』が
6世紀ごろ、日本に伝わってきました。
(これには諸説あります)
8世紀ごろには
『大般若経(だいはんにゃきょう)』(=お経)が
日本にやってきます。
(*大般若経とは数ある般若経の集大成です)
このように
6世紀ごろから
中国大陸や朝鮮半島から我が国へ
儒教、仏教、道教が続々とやってきます。
どうして、こうした書物が
日本に持ち込まれたのでしょうか?
思想・宗教を学ぶために
海外の優れた思想や宗教を学ぶためには
漢文で書かれた書物を読む能力が必要です。
そうです。
最先端の学問を学ぶために、日本が
こうした書物を求めたのです。
では、日本人は
どうやって漢字を読めるようになったのでしょうか?
日本人は
漢字をどうやって学んだのか?
漢字を読めない日本人が
頼りにしたのは「渡来人(とらいじん)」です。
渡来人と呼ばれる人々の中には
中国から移り住んだ人もいました。
つまり、
彼らは中国語と日本語が使える
今でいうバイリンガルな人々でした。
そこで、
漢字の意味や読み方を
彼らから学んだと考えられます。
渡来人メモ(ウィキペディアより)
渡来人は
大和朝廷時代、大変優遇され、
官人として登用された人も少なくありません。
弘仁6年(815年)に編纂された
「新撰姓氏録」に記載されている1182氏のうち、
326が渡来系氏族で、全体の3割を占めています。
出身地は漢が163、百済が104、
高麗(高句麗)が41、新羅が9、
任那が9だそうです。
ここからは
京都大学大学院文学研究科教授
大槻信氏の解説をもとにしています。
大槻教授は
日本の歴史を研究していらっしゃいます。
どうしてカタカナが誕生したのか?
知らない漢字や英語の読み方を
教えてもらったときには、
「ふりがな」をつけることがあります。
・「ふりがな」を( )の中に示します。
例えば
・一期一会(いちごいちえ)
・Friend(フレンド)
現代では
ひらがなやカタカナがあるので、
簡単にルビを振ることができます。
しかし、
まだ、文字を持っていなかった日本人が
どうやって、
知らない漢字に「ふりがな」をふったのでしょうか?
漢字に、漢字の「ふりがな」を振る
上記の表題
漢字の「ふりがな」に漢字を使うとは
一体どういうことなのでしょうか?
中国から漢字が来たばかりの日本には
漢字以外の文字はありませんでした。
そこで、
漢字の読み方にも
漢字を使う以外方法がなかったのです。
その方法はこうです。
例えば
「山」という漢字の読み方がわからないので、
(漢字の)「ふりがな」を振りたいと思います。
その時に使う漢字は
・日本語に発音が近く、
・書きやすい漢字、
となります。
そこで、
「也」(や)と「万」(ま)の漢字が
選ばれました。
山(也万)
上記のような方法で
「山」という漢字に
「也万」という漢字を添えて、
読み方(也=や、万=ま)を示したのです。
下の文字は法華経の抜粋です。
漢字の横に、
漢字(フリガナとしての漢字)が
書かれているのが、見えるでしょうか・・・
このように
漢字で書かれた文章を
読めるようにするために、
僧侶たちは
漢字の隣に、「ふりがな」としての漢字を書いていました。
上記の「法華経」を見てもわかるように、
漢字の横にまた、漢字の「ふりがな」を書くと、
漢字だらけとなり、とても読みにくくなります。
勉学を効率よく進めるためにも
狭いスペースに書くことのできる
簡単な文字が必要でした。
そこで、
僧侶たちの間で
漢字の一部分を取り出して、
それを「ふりがな」とする、
といった方法が編み出されたのです。
例えば
伊藤さんの「伊」、
この漢字の人偏部分(「イ」)を取り出して、
「イ」と読む、と決めたのです。
以下に
カタカナのもととなった漢字を示します。
こうのようにして、
日本では
中国からやってきた漢字に
カタカナをつけて
読んでいくことが
定着しました。
その後
カステラなどのポルトガル語や
アルコールなどのオランダ語が
日本に入ってくると、
カタカナは
漢字以外の外国語にも
使われ始めたのです。
外国語という
別の言語を学んで、
その発音を書き留めるのに、
一番使いやすいのが「カタカナ」でした。
初めは
僧侶たちが
漢字で書かれている経典等を
学ぶために開発した「カタカナ」
それが、漢字だけではなく
あらゆる外国語にも
応用されていったのです。
こうして、日本語では
漢字、ひらがな、カタカナが
使われるようになっていきます。
では、最初の問いに戻りましょう。
外来語は、どうしてカタカナで書くのか?
今まで述べてきたように、
日本に来た初めての外来語は
漢字です。
そして、
漢字を学ぶために
カタカナが開発されました。
そもそもが
「カタカナ」は
外国語を読むために作られた文字だったのです。
繰り返しになってしまいますが、
最初に日本に来た外来語が漢字、
その外来語である漢字を
読むために生み出されたのが
「カタカナ」。
そこで、
「カタカナ」は外来語に使う、
というのが必然だったわけです。
では、
現代の私たちは
漢字、ひらがな、カタカナ、それぞれに
役割を与え、分けて使っています。
それは一体
いつ頃から始まったのでしょうか。
ひらがな・カタカナの使い分けの由来
奈良時代の終わりごろから
平安時代の最初のころに、
「ひらがな」と「カタカナ」が
誕生しました。
「ひらがな」は
漢字を下敷きに、草書体を崩したもの、で、
「カタカナ」は
漢字の一部分を抜粋したものです。
両者とも
その文字に意味はなく、
音だけを表します。
音だけを表す「ひらがな」と「カタカナ」
では、
どうして同じ音だけを表すのに、
片方だけを使わないで、
両者ともが今に至るまで残り、
使い分けが
行われるようになったのでしょうか?
そのわけは
「ひらがな」と「カタカナ」が
使われ始めた平安時代にあります。
平安時代の文字の世界は
「漢字の世界」と「漢字以外の世界」に
大きく分かれていました。
●「漢字以外の世界」の代表が
・「ひらがな」です。
「ひらがな」は「女手」と呼ばれ、
紫式部や清少納言を筆頭に、
女性の使い手が物語や日記、和歌、手紙などに
使っていました。
●一方「漢字の世界」の代表が
・「カタカナ」です。
今まで述べてきたように、
「カタカナ」は
漢字や経典を学ぶために、
生み出されました。
その役割は
漢字を学ぶ際のメモ書きといったものです。
経典や漢字を学ぶのは
たいてい男性でした。
平安時代
両者の成り立ちを見てもわかるように、
言葉の世界では
性別や職業、作品のジャンル等によって、
それぞれ、使う言葉が異なっていたのです。
●「ひらがな」は主に女性が使い、
口語的で和文的な言葉が多かったと言えます。
●それに比べ「カタカナ」は
主に男性が使い、
漢字の意味を解説したり、
漢字の音を表したりと、
学術的な言葉に多く使われていました。
ところが、
平安時代の終わりごろから鎌倉時代にかけて、
この「ひらがな」「カタカナ」の世界は
入りまじり始め、
性別や職業、作品のジャンルを越えて、
誰もが両者を使うようになったのです。
そして
この「ひらがな」「カタカナ」の使い分けが
日本語表記の基本となったのです。
*「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の使いわけ、
つまり、
それぞれの担う役割については
次回考えます。
「ひらがな」「カタカナ」(「漢字」)を
使い分けた代表に、
江戸時代の儒学者、新井白石が挙げられます。
新井白石が
ヨーロッパについてまとめた
『西洋紀聞』は
漢字・ひらがな・カタカナ交じりの
文章で書かれており、
三種類の文字を見事に使い分けています。
ではではニゴでした。