形容詞の否定形に複数の形があるのはなぜか(2)

前回の「形容詞・否定形に
複数の形があるのはなぜか(1)」の概略

以下は前回の形容詞(その1)の簡単な内容です。

 

古代、日本語には形容詞そのものがなく、
名詞でその代用をしていました。
文と言えば
名詞だけが、ずらずらと並んでいたのです。

それでは、
長い文章を読み解くのに、非常な労力が要ります。
意味の取り違いも多かったことでしょう。
そこで、
語尾」という手法を創りだします。

高山(連体修飾)  → 高
高飛ぶ(連用修飾) → 高飛ぶ
波高(言いきり)     → 波高

語尾」という、素晴らしい発明のおかげで、
形容詞の現在形においては、
上記の区別ができるようになり、表現の幅が広がりました。

しかし、
形容詞の現在形(しかも肯定形のみ)では
過去のことを言いたかったり、否定したいとき、
それを書きだす手段がありません。
まだまだ、表現できる範囲が狭すぎます。

そこで、
「否定文や過去の文を自由に創れるようになりたい」
当時の人々に、
そんな切実な思いが芽生えたのは、
当然の流れだと思います。

形容詞の否定形・過去形の誕生

奈良時代(710年~794年)から
平安時代(794年~1185年)にかけて、
形容詞の否定形や過去形を創るための
様々な工夫が始まりました。

その中の一つが、
形容詞の連用形に「あり」という言葉をつけるものです。
(「あり」は動詞ですから、
形容詞の連用形で修飾できます。)
飛ぶ(高=形容詞連用形)

つまり、否定形の場合

< 高 + あり + ず  ⇒ 高あらず >

過去形の場合

< 高あり+き  ⇒ 高き ⇒ 高き >

こうして、「あり」を使う造語法が
奈良時代の終わりから平安時代にかけて、
加速度的に浸透していきました。

形容動詞の誕生

古代日本語には形容詞がなく、
動詞や名詞から形容詞を創っていきました。
(名詞からの造語法は形容詞その1で述べました。)

また、奈良時代・平安時代
知識階級の人々は必ず漢文を学ばなければいけない、
という時代背景がありました。

知識階級の人々が、
「もし漢文から新たな形容詞を創ることができたなら、
日本語の表現がとても豊かになる」
と考えたのは、自然の流れだったと思います。

そこで、また、
新たな造語法が誕生します。

今回は「にあり」を使う方法です。

例えば「華やか」という言葉があったとき。

その終止形としては 「華やかにあり
連体形としては 「華やかにある
連用形としては 「華やか

という形にしました。
この造語法のおかげで、
未然形や過去形、命令形も簡単に創れるようになったのです。
そして、

とこしえにあらぬかも
とこしえにありける
とこしえにあらめ

といった言葉が万葉集のなかに、見られるようになりました。

時代が進んでいくと、
にあり」がつまって「なり」という形に変わります。

ここで、名詞に「なり」という言葉をつければ、
形容詞と同じ働きをする言葉が簡単に創れるようになったのです。
これが、形容動詞の出現です。

こうした工夫により、漢文の膨大な語彙を、
日本語の中に自在に取り入れられるようになりました。

日本語の表現の幅がますます広がっていったのです。

平安時代になると、源氏物語や土佐日記などに、

あきらか、あきらかなり、あきらかなる、あきらかなれば
おごそか、おごそかなり、おごそかなる、おごそかなれば、・・・

といった語彙が多く記載されています。
つまり、このことは、遅くとも平安時代には

「 名詞 + なり 」 の形で、

形容詞が活用できるようになったことを表しています。
そのおかげで、
否定形、過去形、その他の仮定形、意志形、推量形、命令形・・・
なども、自由に作れるようになったのです。

日本人は
漢文という外国の言葉に触れることによって、
その言葉を自分たちの言葉の中にも取り入れたい
と強く願いました。

願っただけではなく、様々な方法を編み出し
日本語をみがきあげていきました。

先人の素晴らしい知見のおかげで、
私たちは
今もなお、その恩恵を受け続けています。

そして、
そのDNAは着実に受け継がれ、
現代でも様々な外来語を日本語の中に取り入れています。
」「」「」を活用することによって、
いとも簡単に日本語化しています。

ラッキー
ヘルシー食材
フル活用する

以前は、漢文から言葉を創っていたのが、
上記の言葉を見てもわかるとおり、
中国以外の国々の言葉をカタカナ語として使っています。

外国の言葉を
何の苦労もせずに日本語の中に取り入れることができる。
これは、先人の努力の賜物です。

現代では、そのたやすさから
カタカナ語があふれている状況ですが・・・。

これからの日本語は
どのように変化していくのでしょうか。

 

さて、
次回(その3)で形容詞の旅もようやく終わりになります。

うれしいです。
高かったです。
高くないです。
あざやかじゃないです。

といった言葉が、
文法からみると正しい
でも、なぜかしっくりこない。
(上の文も「正しいです。」で終わると、子供っぽい感じがしませんか?)

次回はどうして、こうした感情が起こるのか、
その原因を探っていきたいと思います。

その中で、形容詞の否定形に
複数の言い方がある理由も明らかになります。

 

●前回の
「形容詞の否定形になぜ複数の形があるのか(1)」
をご覧になりたい方は
以下をクリックしてください。

https://www.tomojuku.com/blog/keiyoushi1/

 

●「形容詞の否定形になぜ複数の形があるのか(3)」
をご覧になりたい方は
以下をクリックしてください。

https://www.tomojuku.com/blog/keiyoushi3/

ではではニゴでした。

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