形容詞の否定形に複数の形があるのはなぜか(3)
形容詞の否定形に複数の形があるのはなぜか
(1)の概略
以下は形容詞(その1)の簡単な内容です。
古代、日本語には形容詞そのものがなく、
名詞でその代用をしていました。
例えば、現代では
→高い山(形容詞 + 名詞)
のように、
「形容詞・高い + 名詞・山」 の形で文を現します。
古代日本では
→高山(名詞・高 + 名詞・山)
のように、名詞だけで文を続けていました。
その後、
「語尾」という手法を創りだします。
高山(連体修飾) → 高き山
高飛ぶ(連用修飾) → 高く飛ぶ
波高(言いきり) → 波高し
「語尾」という、素晴らしい発明のおかげで、
形容詞という形が整ってきました。
しかし、
整ったのは形容詞の現在形だけです。
過去形や否定形はありませんでした。
形容詞の否定形に複数の形があるのはなぜか
(2)の概略
そこで、
形容詞の否定形・過去形の作り方を考え出します。
その造語法の一つが
形容詞の連用形に「あり」という言葉をつけるものです。
「あり」は動詞ですから、
形容詞連用形で修飾できます。
高く飛ぶ(高く=形容詞連用形 + 飛ぶ=動詞)
つまり、否定形の場合
< 高く + あり + ず ⇒ 高くあらず >
過去形の場合
< 高く+あり+き ⇒ 高くありき ⇒ 高かりき >
となります。
次に出てきた造語法が、
形容動詞を誕生させます。
「にあり」を使う造語法です。
例えば「華やか」という言葉があったとき。
その終止形としては 「華やかにあり」
連体形としては 「華やかにある」
連用形としては 「華やかに」
となります。
時代が進んでいくと、
「にあり」がつまって「なり」という形に変わっていきました。
この造語法のおかげで、
名詞に「なり」という言葉をつければ、
形容詞と同じ働きをする言葉が創れるようになったのです
形容動詞の出現です。
古代日本には形容詞がありませんでした。
そのため、
上記のようにな様々な方法を編み出していったのです。
そして、
・形容詞を創り、
・形容詞の活用を整え、
・次に形容動詞を創っていきました。
昔のイ形容詞の活用
連用形 | 終止形 | 連体形 | 命令形 | |
ク活用 | 高く | 高し | 高き | × |
カリ活用 (補助活用) |
高かり | × | 高かる | 高かれ |
まず、最初に形容詞のク活用が創られました。
しかし、これでは命令形が言えなかったため、新たに
カリ活用(補助活用)を編み出します。
カリ活用ができる以前、
「高し」の否定形は「高くあらず」でしたが、
発音しにくかったため、「高からず」に変化していきます。
< 高し ⇒ 高くあらず ⇒ 高からず(カリ活用) >
しかしながら、
もともと、イ形容詞の否定形は「高くあらず」です。
これを、現代語に訳せば 「高くありません」となります。
イ形容詞の否定形・違和感の源泉
「 高く あり ません 」 が時代を経るにつれて
「 高く ない です 」 と言うようになってきます。
「あり」を「ない」に、
「ません」を「です」 に変換し始めました。
「あり」は動詞で、
「ない」は(補助)形容詞です。
品詞は違いますが、
「ある」⇔「ない」は反意語なので、変換しやすいのです。
しかし、
「あらず」は やはり「ありません」が正当でしょう。
「あらず」を「ないです」とすることに
つまり、
動詞の否定形「あらず」を
形容詞「ない+です」で代用することに、
多くの人が違和感を感じるのは、
文法的に逸脱しているので、当然だと思われます。
しかも、それまで
「です」は 「学生+です」のように、
名詞の後ろにつくもので、
形容詞の後ろにつく
「ない+です」の形はなかったのです。
ナ形容詞の否定形・違和感の源泉
形容動詞(ナ形容詞)の否定形は、古来
「はなやかにあらず」でした。
こちらも、「はなやかにあらず」を
「はなやかではありません」という現代語に訳すと、しっくりきます。
が、
「はなやかじゃないです」という変換では、
「う~ん・・・、なんか変」と感じてしまいます。
これも、形容詞の場合と同じ理由からです。
形容詞の丁寧形
次に、形容詞の丁寧形について考えます。
昔、言葉を丁寧にするときには動詞の
「侍(はべ)る」を使っていました。
(*動詞「侍る」は、今の「いる、ある」という意味もあります。)
そこで、形容詞「高くありき」の「あり」の部分に
丁寧を表す動詞の「侍(はべ)る」を代入したのです。
(「あり」は動詞ですから、「あり」の代わりに、その場所に
違う動詞を入れるということは、全く問題がなかったのです。)
「高くありき」 ⇒ 「高くはべりき」
また、
現代の「あります」の丁寧な言い方に
「ございます」があります。
*「ございます」は
時代とともに以下のように変わっていきます。
< ござあります ⇒ ござります ⇒ ございます>
「ございます」という形は
江戸時代以降に、使われ出します。
以前、形容詞を丁寧に言う場合
動詞「侍(はべ)る」を使っていましたが、
江戸時代になると
「ございます」を使うようになります。
そこで、形容詞「高い」の丁寧形を
「高(たこ)うございます」とする言い方が現れます。
その後、だんだんとこの形が定着していき、
形容詞を丁寧に言う時には
「おもうございます」「おいしゅうございます」「あぶのうございます」
のように使っていました。
それが
「たかいです」に変わったのです。
違和感を感じるのは当然の帰結だと言えます。
こうして形容詞の歴史を振り返ると、
「たかいです」は、
昔の文法の概念では正しくないことがわかります。
それが、現代では
「文法的に正しい」とされるようになりました。
一体どうしてなのでしょう。
これから、その経緯についてみていきましょう。
どうして「高い+です」は認められたのか
形容詞「おいしい」を丁寧に言うとき、昔は
「おいしゅうございます」を使っていました。
しかし、昭和に入ってから、
「重うございます」「あぶのうございます」・・・
の言い方が
・丁寧過ぎる
・長くて使いにくい
・音便変化が難しい
と感じられるようになりました。
そこで、だんだんと、文法的には正しくないのですが、
「高いです」「大きいです」と「形容詞+です」
の形を使って話す人が増えていきます。
この言葉が出てきた当初は、
「言葉の乱れ」
として嘆く人も多かったようですが、
次第に市民権を得ていきます。
そして、ついに、
昭和27年の国語審議会「これからの敬語」では
「形容詞+です」は、「正しい使い方である」と認めました。
以前「です」は 「日本人です」のように、
名詞の後ろにしか使えませんでした。
ここで、「高いです」のように、
「形容詞の後ろにも使っていい」
というお墨付きがでたわけです。
こうした経緯により、年配の方は特に
「形容詞+です」
を使うことに、心理的抵抗感が生じるのだと思います。
以前は文法として正しくなかったのですから。
「形容詞+です」にGOサインが出ると、
「ない+です」もOKだろうと、考えるのは自然の流れです。
「高くありません」 ⇒ 「高くないです」
「ありません」を「ないです」と言うようになった、
これこそが原因でしょう。
そして、だんだんと、
「高くありません」「高くないです」
「元気ではありません」「元気ではないです」
の両方の形で言うようになります。
もともとは
「高くありません」「元気ではありません」
が正しい形でした。
ですから、
「高くないです」「元気ではないです」
という使い方を耳にすると、
「あまり、美しくないなあ」と感じてしまうのです。
多くの日本語教師の方は自分では使わないけれど、
・一応正しい日本語として認めらているし、
・テキストにも記載されているし、
といった理由で、
「高くないです」「元気じゃないです」を
違和感を感じつつも教えている、
と言うのが現状だと思います。
ただ、日本語を学ぶ学習者の方々からすると、
「ないです」を使った方が、
「簡単だ」と感じられるでしょう。
また、若い世代の方々からは、
「ないです」の違和感そのものが、
消えていくと思われます。
生まれたときから「ないです」を
使っているのですから。
言葉と言うものは、
つくづく「生きているなあ」と感じます。
ではではニゴでした。
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