教案(レッスンプラン)について
日本語授業の教案とは
教師は授業をする前に
どんな授業にしようかと、
考えを巡らせ、ロードマップを作り、
計画を練ります。
教案とは
授業をするために考えておく
計画案のことです。
教案なしに教壇に立てるのか・・・
日本語教師になると、
4時間分ぐらいの授業を
ポンと任されます。
テキストは、あります。
あるには、ありますが・・・・・・
いきなり授業をすることは
よほど授業経験の豊富な人でないと、
無理です。
そこで
授業の前に、
教案を作ることになります。
教案を書くことには
たくさんのメリットがあります。
教案作成のメリット
学校で日本語教育を受けた時にも
教案を書くメリットを
耳にタコができるほど、
言われてきたかもしれません・・・
が、しかし、
ここでもう一度、そのメリットを
おさらいしたいと思います。
(1)今日の授業で何をできるようにさせるのか、
・・・そのゴールを明確にすることができる。
(2)ゴールを設定したら、そこに到達するまでの
・・・ロードマップ(プロセス)がはっきりする。
(3)ゴールまでの道のりがはっきりすると、
・・・どんな順番で、
・・・どんな練習をすべきかが、見えてくる。
(4)授業の中で、
・・・教師がやるべき活動と
・・・学習者がやるべき活動とが、はっきりする。
(5)学習者がやるべき活動で、
・・・教師がそれを、どう、
・・・スムーズに持っていくかの準備ができる。
(6)授業が終わった後に、
・・・自分の教案と実際にやった授業とを比較できる。
・・・すると、
・・・どこがうまくいって、
・・・どこがうまくいかなかったのかが明確になる。
・・・こうして授業を振り返ることにより、
・・・授業をよりよくしていくことができる。
教案作成の心理的メリット
教師になりたての頃は
授業をスムーズに運ぶことさえ
おぼつかないかもしれません。
そして
学習者に思いもよらない質問をされると、
頭が真っ白になり、
「どうしよう・・・・・・」と、
授業が大混乱に陥ることもあるでしょう。
その時に、教案が手元にあると、
「トムさんの質問は とてもいい質問です」
「トムさんの質問をみんなで考えると、
・・みんなが助かります(うれしいです)」
「次の授業で、この質問をみんなで考えましょう」
と言い、
授業を教案の方へと戻すことができます。
教案が手元にあると、
心理的にも落ち着きます。
教案作成のメリットが感じられなくなる時
教案作成には時間がかかります。
これだけ時間をかけたのに、
苦心惨憺して教案を書いたのに、
実際に授業をしてみると、
教案通りに進まないことが
結構でてきます。
経験の浅い教師には
特にそれが顕著です。
そこで
少し授業に慣れてくると、
「書いても意味がないかも・・・」と
感じ始め、だんだんと
教案を書かなくなっていく・・・
こうした負のスパイラルが
回り始めます。
教案を書くのをやめないで!
「教案通りに授業が進まない」
と感じても、
どうか、教案を書くことを
やめないでください。
経験を積んでいくと、
「こうすれば、うまくいくだろう」
と書いたことが、
だんだんと的中するようになります。
「こう言ったら、学習者はこのように反応し、
こう答えるだろう」という予測の
的中率が上がっていくのです。
教案を書くのをやめてしまうと、
この、学習者の言動を予測する力が
育っていきません。
最初のうちは
書くのはとてもしんどいです。
でも、
どんな仕事でも、やり始めはみなキツイ。
そこは歯を食いしばって
乗り越えていきましょう。
教案作成の真のメリット
教案を考えるとき
(1)必ず授業のゴールを決めなければなりません。
このゴールも教案を書いていくと、
決め方上手になっていきます。
このクラスの場合はゴールはもっと高くしても大丈夫。
このクラスは もっと簡単なゴールにしよう。
といった感じです。
教案を書くことによって、
学習者への、クラスへの
観察力が養われます。
(2)教案を書く時には
・・・ゴールへのロードマップを考えます。
語学では一歩一歩、易から難へと
進めていく必要があります。
最初のうちは
どの練習がやさしくて、
どの活動が難しいのか、
頭で考えても、
判断がつかないことも多く出てきます。
学習者にやらせてみて、初めて、
「ああ、この練習は意外に難しいんだ・・・」
「えー!この練習、難しいと思っていたのに、
・こんなにすんなりできてしまううんだ・・・」
こうした
経験を重ねていくと、
自分のやる練習・活動の
難易度予測精度が上がっていきます。
ところが、教案なしで
場当たり的に、思いつくまま
やらせる練習や活動では
全てが流れていってしまい、
「どこがよかったのか」
「どこがよくなかったのか」が、
分析できません。
そして、
覚えてもおけません。
それは
せっかく授業をしたのに、
とても残念なことです。
(3)実際に授業をした場合、
教案通りに進まない原因として、
・「指示の出し方」
・「学習者への誤用の訂正の仕方」
・「学習者へのフィードバックの仕方」などが、
適切でなかった、
といったことが考えられます。
また、
クラス全体の雰囲気によっても、
個人の性格によっても、
上記の方法の適切さは変化します。
教案を書いていないと、
「わあー、ダメだった!」というとき、
そのダメだった原因が分析できません。
「失敗した・・・」という感覚だけが、
頭に残ってしまい、
「もう、その練習(活動)はやめよう・・・」
となってしまうのです。
でも、待ってください。
その練習(活動)は
本当に失敗だったのでしょうか・・・
ベテラン教師の鉄板ネタ
長年教師をしていると、
鉄板の(必ずうまくいくと思われる)
導入方法や練習・活動方法を
もっているものです。
ところが
その鉄板ネタも、
クラスのメンバーによって
「あまりうまくいかない」
場合があるのです。
クラスのメンバーによって
鉄板ネタを選び分ける、
といったスキルも
教案を書いていくとわかってきます。
(4)教案は自分の汗と涙の記録です。
教案を書いておくと、
それが自分の授業の記録となります。
人は記録しておかないと、
時間経過とともに、ほとんどのことが
流れ去ってしまいます。
せっかく頑張ってやった授業です。
一つ一つの授業を
自分自身の財産にしておきましょう。
・うまくいったところは青線で
・どうして
・うまくいったのかを書き込む。
(うまくいった理由が書けるようになると、
それを他にも応用できるようになります)
・うまくいかなかったところは、赤線で、
・どうして
・うまくいかなかったのかを書き込む。
(うまくいかなかった原因の
・解決策も書けるといいですね。
・初めは分析すること自体が難しいと思います。が、
・書けるようになると、
・同じ失敗を繰り返さなくてすみます)
過去の教案の、赤字、青字は
自分自身の努力の証です。
その量が、必ずや
いい先生へと導いてくれます。
教案作成が教師の成長にとって、
いいと考える理由
自分で授業をするとともに、
「教案指導」という仕事も
20年以上続けています。
教師になりたての先生には、
私の授業を見てもらいます。
そして
授業後に、二人で
「よかったところ」
「よくなかったところ」
を振り返ります。
その反対もしかりで、
新人の先生のクラスに
今度は私が見学に入ります。
(もちろん教案指導をした授業です)
また、授業後に二人で
「よかったところ」
「うまくできなかったところ」
を話し合い、その原因を探ります。
これを進めていくと、
新人の先生の上達が驚くほど速いのです。
(教案指導をなさる先生には
この方法をお勧めします)
また、毎年
大学から教育実習生が
1名~7名くらいやってきます。
その場合は
初級から上級まで、漢字の授業も含め、
一か月半という限られた時間の中で、
初級、中級、上級、各漢字の授業、
といった
ひととおりの教案を書き、
全ての授業を実習してもらいます。
彼らの一番苦戦するのが
初級の教案です。
一か月かけて、
みんなで一緒に
一時間の授業を練り上げます。
(それぞれの学生のやる課は違います)
そして、
何度も何度も予行演習をします。
教案もそのたびに書き直しです。
ところが、
頑張って頑張って実施した授業は
それはそれは素晴らしいのです。
一か月半で
ここまで上達するのか!と
いつも驚かされます。
教案指導の先生がいない!
教案指導の先生がいなくても、
教案を書くことは
必ず自分の進歩につながります。
私が新米教師として教壇にたった
日本語学校は
とても自由な校風でしたが、
そういった新人を育てるシステムは
何もありませんでした。
指導してくださる先生も
いらっしゃいませんでした。
各人がばらばらに頑張る、
といった感じです。
指導してくださる方はいなくても、
指導教授の教えは守り、
教案だけは書き続けていました。
そして
親切そうな先輩に、
アドバイスを求めたりしていました。
自分の経験でしかありませんが、
指導してもらえない環境でも、
教案は書いた方がいいと考えます。
なぜなら、
教案を書く時には
自分のクラスの学生を
思い浮かべますよね。
クラスの様々な場面を想像し、
一人一人の学生の反応を予想し、
授業を組み立てていきます。
すると、授業後には
(書き続けていきさえすれば)
どこがよかったのか、
どこができなかったのか、
の分析がだんだんできるようになってきます。
自分の授業を
だんだん客観的に
観察できるようになってきます。
この、
授業前に起こることを予測し、
授業後にその予測が正しかったのかどうかを
振り返る。
こうした地道な作業こそが
自分の教師としての腕を磨いてくれます。
教案を書くということは
いい教師になるための礎であり、
いい授業をするための土台となります。
書くことは本当にしんどいです。
でも、
「書いて、自分の授業を振り返る」
この方法こそが
時間がかかるように見えても、
いい授業をする
一番の近道なのではないかと考えます。
教師になりたての頃は
うまくいかなくて当たり前です。
それでも、めげずに、
一歩一歩頑張ってください。
でも、
頑張りすぎは禁物です。
自分を追い詰めてはいけません。
失敗は誰もが通る道です。
私の失敗たるや
目も当てられませんでした。
思い返せば、
本当に学習者の皆さんには
申し訳のないことをしてきました。
だからこそ、
十分経験を積んだ今は
後輩たちを
できるだけ応援していきたいと思うのです。
今、自分の周りは
すごい先生ばかりで、自信を失ってしまう・・・
と委縮しててはいけません。
そのすごい先生方も
一番初めは
うまくいかないことだらけだったはずです。
大丈夫です。
少しずつ、焦らずに、
腕を磨いていきましょう。
長くなってしまいました・・・
過去の超絶へたくそだった自分の授業を
思い出していたら、
「今はうまくいかなくても大丈夫!
絶対、絶対、大丈夫!」と
心の底から叫びたくなってしまいました・・・
さて、
次回からは
教案をどう書くのかを
もっと具体的に書いていきますね。
(少し冷静さを取り戻して)
ではではニゴでした。