御 :「お」と「ご」(その1)
「依頼」か「ご依頼」か
時々、私のもとへ
「セミナーの依頼」という件名で
メールが来ます。
今まで、メールの件名に
頓着していなかったのですが、
ビジネス研修をしている友人から、
「そんなメールの件名はダメですよ。
きちんと御(ご)をつけなくては。
『セミナーの依頼』ではなくて、
『セミナーのご依頼』が基本でしょう」
と、言われました。
確かに、
「セミナーの依頼」だと丁寧さに欠ける??
ような心持もするけれど・・・
「正しくない」とまでは思いません。
本文ではなく、件名なので、それを
「簡潔」とみるか、
「丁寧さに欠ける」とみるかで、
意見が分かれるのでしょう。
では
反対に「セミナーのご依頼」は
本当に正しいのでしょうか・・・?
依頼するのは相手側。つまり私ではない。
では、
依頼する側が自分自身に「御(ご)」を
つけてもOKなのか・・・?
といった疑問も一瞬、頭をよぎりました。
そこで今日は
「御」=「お」と「ご」の使い方を
見ていきます。
接頭語の「御(お・ご)」の使い方
「御(お・ご)」で
よく聞かれるのは、
「「御(お・ご)」は敬語なのだから、
自分の持ち物や動作に
つけてはいけないのではないか?」
というものです。
さきほどの
「セミナーのご依頼」を例としてみると、
「ご」をつけるのは
自分側に「ご」をつけているのだから
間違いではないですか、
ということになります。
しかしながら、
「相談」「案内」は
自分のことでも
「御(ご)」をつけて大丈夫です。
例えば
①「先生、ご相談があります」
②「先生、私がご案内します」
などは
学習者自身の相談であり、
学習者が教師を案内してくれるわけで、
学習者自身の動作です。
ですが、
➂「先生、相談があります」
④「先生、私が案内します」より、
丁寧さがあり、
好ましい言い方となります。
こうしたことから、
「御(お・ご)」の使い方は
「自分の持ち物や動作につけてはいけない」
といった単純なルールでは
説明がつかないと分かります。
第一段階としては、
尊敬語、謙譲語表現の
「御(お・ご)」に行く前に、
「御(お・ご)」がどんな言葉に
つくのかを見ていきましょう。
「お」と「ご」のつけ方
一般的に和語には「お」がつき
漢語(音読みの言葉)には「ご」がつきます。
「お」がつく例
お花、お水、お酒、お知らせ・・・
「ご」がつく例
ご住所、ご注文、ご説明、ご祝儀・・・
上記の例を見てもわかるように
和語は
日常生活でよく使われる言葉で、
やわらかい印象があります。
漢語は硬い印象ですね。
「ご」から「お」への変遷
漢語でも
日常生活で
よく使われるようになった言葉は
例えば
掃除、洗濯、散歩などは
「ご」ではなく、「お」を使います。
(お掃除、お洗濯、お散歩)
つまり
漢語でも私たちの生活に
すでに、なじんでいるものは
「ご」から「お」に変わったのです。
「ご」から「お」への過渡期
「ご」から「お」への
過渡期にある言葉もあります。
例えば
「返事」や「礼状」といった漢語は
今では日常生活の中で
よく使われるようになりました。
そこで
「お返事」でも「ご返事」でも
OKです。
「お礼状」でも「ご礼状」でも
OKです。
他にも
「勉強」「香典」「誕生」「病気」など
「お」でも「ご」でもOKな言葉は
探せば意外にあるかもしれません。
「お」にする場合と「ご」にする場合
の違いとは?
では
「お」「ご」両方使える言葉は
どのように使い分けているのでしょうか。
これはやはり、
●硬い印象にしたいか(「ご」を使う)
●やわらかく言いたいか(「お」を使う)
●くだけた雰囲気か(「お」を使う)
●改まった場か(「ご」を使う)
によって、使いわけています。
例えば
お母さんや先生が
小さな子供に対して、
先 生:(さとし君の名前を呼ぶ)「さとし君」
さとし:「はい!」
先 生:「さとし君、
・・・・・とってもいいお返事ですね」
こうした場合は
やはり「ご返事」より
「お返事」の方がしっくりきます。
次の例は:
校長室に子供とお母さんがいるとします。
その子供は校長先生の質問に
答えられず、もじもじしています。
すると、お母さんは
「さとし、先生にきちんとご返事なさい」
のように、言うのではないでしょうか。
また、
子供の誕生日を祝うときには
「お誕生」を使い、
恩師の誕生日を盛大に祝う
正式な会の時には
「ご誕生」を使う、
といったように
私たちは自然と使い分けています。
今までは漢語と和語の例を見てきまた。
次に外来語について考えます。
外来語と「お」と「ご」
一般的な規則としては
以下のものがあります。
- 和語には「お」
- 漢語には「ご」
- カタカナ語(外来語)には
「お・ご」をつけない
カタカナ語には通常
「お・ご」は使いません。
「パソコン」や「テレビ」といった
言葉に「お・ご」は
つけないですよね。
中には「お」を
つけられそうなカタカナ語もあります。
例)おビール、おズボン、おトイレ、おニュー
(おニューは、もしかしたら死語でしょうか・・・?)
外来語でも、すでに
外来語とわからなくなってしまった言葉もあります。
「たばこ」などはその最たるものです。
今ではカタカナより、
ひらがなで書く方が多いかもしれません。
ひらがなで書こうが、カタカナで書こうが、
「おたばこ」は使えますね。
上記の「お」のつけられそうなカタカナ語をみると、
やはり、
私たちの日常生活に欠かせないものです。
つまり
基本的には外来語には「お・ご」をつけないけれど、
日常的に使うものには
つけても間違いではありません。
ただ、
ニュアンスは変わってしまうときがあります。
美しい女性が我があこがれの君に
「おビールでもいかがですか?」と
言っているのを見ると、
心の中で
「おビールだなんて、鼻につくわい。ぷんすかぷん!」
と毒づいてしまうのです。
(狭量な仁子(にご)の場合ですが・・・)
その他の「御(お・ご)」のルール
- 和語には「お」
- 漢語には「ご」
- カタカナ語(外来語)には
「お・ご」をつけない
といった規則のほかに、
「お・ご」がつかないと
意味が分からなくなったり、
言葉として成り立たないものがあります。
例えば
おしぼり、お辞儀、ごはん、ごちそう、
おにぎり、おやつ、(行事としての)お盆、
などの言葉がそうです。
おにぎりの「お」を取ってしまうと
寿司の「にぎり」になってしまい、
意味が変わってしまいます。
おやつは「やつ」と言ったら、
何のことかわからないですよね。
美化語としての「お・ご」
美化語とは
上品で美しい言葉遣いをするために使う表現のことです。
ときには
その表現をやらわげるといった役割も果たします。
人への敬意を表す表現ではありませんが、
日本語では敬語に準ずるとしています。
例えば、下記の太字が美化語です。
接頭辞「お」「ご」がついた言葉です。
美化語具体例
(例1)(独り言で)
お風呂に入ろうかなあ・・・。
(例2)(メモ帳に書いた買い物リスト)
お豆腐、お肉、お酒、お菓子
(例1)は独り言。
(例2)は自分が忘れないようにと書いたメモ書き。
(例1)(例2)を見てもわかるように、
これらは人に対する敬意を表してはいません。
単に言葉を美しくしています。
美化語と言われるゆえんですね。
この美化語の「お・ご」のなかには、
さきほどの「おビール」のように、
●「お・ご」をつけると過度に丁寧な感じがする。
また、以下に述べますが、
●「お・ご」をつけないと、粗雑な感じがする。
といった言葉もあります。
「お」を付けた方が自然な言葉
「お茶でも飲みませんか」とか
「こちらには○○酒造のお酒、
置いてありませんか?」
を、
「茶でも飲みませんか」
「酒を置いてありませんか?」
と言われると、
調和がなく、雑駁な感じがします。
乱暴なら、乱暴なように、
「てめえ、茶ぐらい出せねえのかよ。
べらんめえ」
「ねえちゃん、酒だ、酒!」のように、
前後の言葉も、整える必要があります。
「お茶、お酒、お金、お風呂、お小遣い・・・」
などなど、普通の会話では
特に女性の場合、
「お」をつける方が自然です。
また、
幼児に使うと
違ったニュアンスが生まれる場合があります。
幼児への「お」「ご」
美化語とは
上品で美しい言葉遣いをするために使う表現です。
ところが
幼児に対して使うと、
その表現をやわらげ、
幼児に寄り添うニュアンスを持ちます。
- 今日は暑いから、お帽子をかぶりましょうね。
- さあ、もう遅いから、おうちに帰りましょう。
- 今日は、このお歌をうたいましょう。
ところが
大の大人に対して、
「さあ、今からともにお歌をうたいましょう」
と言われたら
「私、馬鹿にされているのかしら?」
と勘繰りたくなります。
また、
「休み時間は終わりましたよ。お教室に入りましょう」の、
お教室も
小学校の低学年ぐらいまでしか、使えそうもありません。
そして、
お美しい、ご婦人から、
「ワタクシ、オペラのお教室にかよっていますのよ」
などと言われたら、
心の中で
「どーせ、わたしゃ、庶民ですよ~だ」
と毒づいてしまいそうです。
最後にもう一つ。
「お」を付けたときと、つけないときとで、
意味が変わる言葉
「義理と人情」の「義理」は辞書では
「人として守るべき正しい道」と説明されています。
ところが、
●「お義理の喝さいを得ようとは思わない」
●「今日来たのは、お義理でね」
この「お義理」は
決して美化語ではなく、
「本心では嫌なのだが、相手を忖度して、しかたなくやる」
といった意味があります。
「決まり」と「お決まり」も
「義理」と「お義理」の使い方に似ています。
「笑い」と「お笑い」は
意味そのものが変わってしまいます。
「笑い」は単に笑うこと。
「お笑い」は人を笑わせる芸の一つです。
落語では「お笑いを一席」などと言いますし、
「お笑い番組」「お笑い芸人」といった言葉もあります。
「三時」と「お三時」
これも全く違う意味になってしまいますね。
「三時」は単なる時間としての三時
「お三時」となると、おやつの意味になります。
【追伸】
ある方から「守り」と「お守り」も
全く意味が変わりますね、
と教えていただきいました。
ありがとうございます。
今回はここまでとし、
尊敬語、謙譲語表現として使う
「お・ご」は
次回にしたいと思います。
ではではニゴでした。