非情の受身・学生の間違い

非情の受身・学生の間違え

非情の受身では物・事・を主語にします。

1、源氏物語は 紫式部によって 書かれた。
2、この雑誌は 多くの人に 読まれている。
3、入学式が(学校によって)行われた。
4、花壇の花は 何者かによって 切りとられた。

動作主に注目し、

1の動作主:「紫式部」→有名である。
2の動作主:「多くの人」→不特定である。
3の動作主:「学校」→言う必要がない。
4の動作主:「何者かによって」→誰なのか、わからない。

上記の4パターンについて、考えてみました。

5、この窓ガラスは 隣の太郎に 割られたんです。

5のような、非情の受身もあります。
動作主の「隣の太郎」は、有名人ではありません。

6、×日経新聞は 隣の太郎に 読まれた。

動作主に5と同じ「隣の太郎」を用いましたが、
6の場合は非文になります。

どうして、5はよくて、6は非文になってしまうのでしょうか。

本来、物・事を主語とする非情の受身は、
客観的に事実を伝える受身文なので、
動作主「誰に」は、あまり問題にされません。

しかし、非情の受身でも5のように、
その事・物についての何かがあって(窓が割られた)、
心が動き(困った)、その物・事について、「話したい!」
と思ったときに、使われることもあります。

話者の気持ちを述べる「有情の受身」に、
とても近い使い方です。

動作主に、身近な特定の人を使う場合、
話者には、心の動きがなければなりせん。

7、(私が買おうと思っていたのに)
あの妖怪ウォッチは、クラスメートの次郎に 買われてしまった。

6の場合、話者の心の動きは、少しも感じられないので、
非文となります

6、×日経新聞は 隣の太郎に 読まれた。

この6の非文も、

(私が買った日経新聞で、まだ私は読んでいないのに)
6’、○私が買った日経新聞は 隣の太郎に 先に読まれてしまった。

のように、話者の心の動きがあれば、自然な文になります。

8、(私が食べようと思っていた)
冷蔵庫のケーキは 姉に 食べられてしまった。

このように、客観的に物事述べる場合に使う、非情の受身にも、
有情の受身に近い、心の動きを述べる場合があります。

客観的な非情の受身を導入する場合は、
この点に注意しなければなりません。

有情の受身・非情の受身について、詳しく知りたい方は
こちらをご覧ください。
>>有情の受身と非情の受身

ではでは ニゴでした。

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