「韻を踏む」とは?(その1)
『チコちゃんに叱られる』という番組が
NHKで放映されています。
どんな番組かというと、
チコちゃんが出演者に様々な質問をし、
みんなで
その答えを探っていく、
という内容です。
今回の質問は:
ラップは韻を踏んで歌います。
私たちは
上手に韻を踏んでいる曲を聞くと、
どうして気持ちがいいのでしょうか?
というものでした。
翻ってみると、
私たちは
ラップだけではなく、
韻を踏んでいる文章を読んでいても、
「心地よい(文だ)なあ」
と感じます。
韻を踏むことが
どうして心地よさに通じるのか、
こんな問題については
これまで考えもしませんでした。
●とても興味深い質問だったので、
また、
●「韻を踏む」ことは
文を書く時に、とても役立つので、
ここに記載しておきます。
チコちゃんの回答
「韻を踏むと気持ちいいのはなぜ?」
という質問への
チコちゃんの回答としては
「リズムと驚きを同時に味わえるから」
というものでした。
この答えをみても「・・・???」
ですよね。リズムはともかく、驚き???
では
もう少し詳しく書いていきます。
この記事の内容は
慶応義塾大学で言語学を教えている
・川原繁人教授と
明治大学で脳科学や言語学を研究している
・堀田秀吾教授
の解説をもとにしています。
韻を踏むとは?
まず、「韻を踏む」というのは
簡単に言うと、
似た響きの音を
繰り返し使う手法のことです。
「韻を踏む」手法は
歌やラップ、詩やキャッチコピーなど
様々なところで使われています。
俳句や短歌でも使われていますね。
韻を踏んでいる詩
●韻を踏んでいる詩としては
萩原朔太郎の『竹』が
直ぐに思い浮かびます。
~~~~~~~~~
光る地面に竹が生え、
青竹が生え、
地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。
かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まっしぐらに竹が生え、
凍れる節々りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。
~~~~~~~~~
韻を踏んでいるキャッチコピー
●キャッチコピーでは
会いたいし、
伝えたいし、
聖徳太子(たいし)
韻を踏んでいるラップ
●ラップでは
地元の若手 どかしに来た
ついでに優勝とか しにきた
シーンで一番HOTな男が
北国の雪も 溶かしに来た
韻を踏んでいる歌
●歌では
去年話題になった
YOASOBIの『アイドル』を
少し詳しく見てみましょう。
歌と歌の間に挿入されている
ラップのような
箇所の歌詞を見てください。
~~~~~~~~
はいはいあの子は特別です
我々はハナからおまけです
お星さまの引き立て役Bです
全てがあの子のお蔭なわけない
酒落臭い(しゃらくさい)
妬みや嫉妬なんてない
わけがない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない
君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外(がい)は
認めない
~~~~~~~~~
上3行の歌詞は
最後が「です」で、
その下の8行の歌詞は
最後を「ない」⇒a-i
しゃらくさい
⇒「さい」(臭い)⇒a-i
君以外
⇒「がい」(外)⇒a-i
のように母音を
「a-i」で繰り返し、
韻を踏んでいます。
歌の場合、
字面だけを見ていても
心地よさが
分かりにくいものもあるので、
どうぞ、曲を聞いてみてください。
では、
韻にはどんな種類があるのでしょうか?
韻の種類
韻には大きくわけると
2種類あります。
脚韻と頭韻です。
脚韻とは?
(注)この写真が
チコちゃんと
岡村隆史
(オカムラタカシ)さんです。
そして
以下の文は
言葉の文末の母音を
a で揃えています。
これを脚韻と言います。
オカムラ(a)が
カマクラ(a)で
撮った(a)
プリクラ(a)
次の文は
言葉の文末の母音を
( a-a-i )で
三つもそろえている脚韻です。
タカシのマナザシ
アタシをダマシ
タカシ(a-a-i)
ナザシ(a-a-i)
アタシ(a-a-i)
ダマシ(a-a-i)
頭韻とは?
言葉の頭に
繰り返しを持ってくる方法、
これが頭韻です。
(例)
オカムラの命
オカアサンの
おかげ
では、
「韻を踏む」という行為は
一体いつごろから
行われていたのでしょうか?
いつから「韻」は使われていたのか?
日本最古の和歌である
万葉集(奈良時代)。
この中で
すでに韻を使った歌が
詠まれています。
例えば
天武天皇が詠んだ歌です。
よき人の
よしとよく見て
よしと言ひし
吉野(よしの)よく見よ
よき人よく見つ
と、
天武天皇は
吉野のよさを頭韻で表現しています。
江戸時代には
米沢藩の上杉鷹山が
為せば成る
為さね成らぬ何事も
成らぬは人の
為さぬなりけり
なせばなる
なさねばならぬ
なにごとも
ならぬは人の
なさぬなりけり
上記のように
家臣を勇気づける句を
頭韻で表現しています。
戦後
日本に元気を与えた
笠置シズ子さんの
『東京ブギウギ』という曲も
東京ブギウギ(u-i-u-i)
リズムウキウキ(u-i-u-i)
心ズキズキ(u-i-u-i)
ワクワク
のように
(u-i-u-i)という母音を
繰り返し、
頭韻、脚韻を共に使っています。
そして
今現在、毎年掲げられる
都道府県のキャッチコピーでも
韻が踏まれています。
茨城県のキャッチコピー
ひたむき
まえむき
いばらき
福島県のキャッチコピー
うつくしま
ふくしま
上記の例のように
私たちは
奈良時代から現代まで、
韻とともに生きています。
このことからも
韻が
人を心地よくさせる性質を
持っている、
ということがわかります。
では、なぜ
「韻を踏むと気持ちいい」と、
感じるのでしょうか?
韻を踏んだ言葉は、なぜ心地よく感じるのか?
韻を踏むと
言葉にリズムが生まれます。
この韻から生まれるリズムこそが
私たちを心地よくさせる
大きな要因となります。
昭和のヒット曲を見てみましょう。
吉幾三『俺ら東京さ行ぐだ』
(一部分の抜粋です)
テレビもねエ
ラジオもねエ
自動車(くるま)もそれほど走ってねエ
ピアノもねエ
バーもねエ
おまわり毎日ぐーるぐる
このように
「ねエ」が続くことで
リズムが生まれ、
思わず「気持ちがいい」と、
感じてしまいます。
では、
韻の気持ちのよさの正体は
リズムだけなのでしょうか?
韻の気持ちよさの要因はリズムだけか?
韻を踏むと心地よくなる要因は
リズムのほかに、もう一つあります。
それは
制約から生まれる驚きです。
それを理解するために
SEKAI NO OWARI の
『Habit』(habit=癖)
という曲を見てみましょう。
(抜粋したものです)
俺たちだって動物
こーゆーのって好物
ここまで言われたらどう?普通
腹の底こうふつふつと
俺たちだって動物
抜粋した歌詞ですが、
●オレンジ色は頭韻
頭韻で「こ」を繰り返しています。
「こーゆー」
「こうぶつ」
「ここ」
「こう」
●グリーンは脚韻
「動物」⇒(o–u–u–u)
「どう?普通」⇒(o–u-u–u)
「こうふつ(ふつ)」⇒(o–u–u–u)
(o–u–u–u)の母音を
揃えるという韻を踏んでいます。
SEKAI NO OWARI の
『Habit』の歌詞は
本当に多くの制約の上に
成り立っています。
様々な制約
①メロディーの中に詩を収めるという制約
②頭の子音を揃えるという制約
・母音を揃えるという制約
➂文末を揃えるという制約
そして
④歌詞全体で意味が通るという制約
つまり、
多くの制約を乗り越えた韻は
スポーツのスーパープレイを
見たときのような
驚きや達成感を私たちに
感じさせてくれるのです。
この驚きが、
韻の作り出すリズムと一緒に
味わえるので、
私たちには心地よく感じられるのです。
実際に
YOASOBIの『アイドル』や
SEKAI NO OWARI (セカオワ)の
『Habit』を聞いていると
心地よくなる、ということが
体感的にわかります。
では、
医学的にはどうなのか、
本当に気持ちよくなっているのか?
それを検証するために
韻を踏んだ時の脳波を
調べてみることにしました。
その結果は?
以下をクリックすると
ご覧になれます。
ではではニゴでした。