ローマ字表記(その1)

2024年8月31日の日経新聞(夕刊)に
『ローマ字表記70年ぶり見直し』
という記事が一面に大きく報じられました。

日経新聞記事

日経新聞の記事

そこで
今回は
ローマ字について、
あれこれ書いてみます。

ローマ字の歴史

ローマ字の発祥の地はローマ?

ローマ字は紀元15~14世紀ごろ
フェニキアの地で生まれたと言われています。

 

 

 

 

 

フェニキアは
上記地図のオレンジの丸枠、
現在のレバノンのあたりに
存在していました。

フェニキアで生まれた文字は
ギリシアへ伝わり、
ギリシア文字となりました。

そして
古代ローマ帝国のローマ人は
ギリシア文字を参考にして、
自国のラテン語を表記する文字
ローマ字」を作ったのです。

(注1)ローマ帝国の公用語はラテン語です。
(注2)ここでいうローマ字とは
・・・・ローマ文字のことです。

流れとしては
フェニキアの文字→ギリシア文字→ローマ字
となります。

ローマ帝国の勢力拡大

伝説によると、
古代ローマ帝国は
紀元753年4月21日に
都市国家として建国されたと伝えられています。

ローマ字を創り上げた
ローマ帝国は
次第に勢力範囲を拡大していき、
ヨーロッパ全体を支配するようになります。

ローマは
同時にキリスト教も布教していきます。

この時ローマでは
ヘブライ文字の『キリスト教典』を
すでに
ラテン語化(つまりローマ字化)
していたので、
ローマ帝国の公用語の表記
ローマ字」が
キリスト教の布教とともに
ヨーロッパ全体に伝わっていったのです。

参考文献:
『世界史を「移民」で読み解く』
(玉木俊明著)

どうしてローマ字にはいろいろな種類があるのか?

現代でも
色々なローマ字表記が使われています

主なところで、
ヘボン式、訓令式、日本式
などです。

どうしてローマ字には
様々な表記があるのでしょうか?

それは必然でもあります。
なぜなら、

ローマ字のもとは
ローマ人が
ギリシア文字を参考にして作りました。

そして、
ローマ字
で書かれた
『キリスト教典』とともに
それが世界各地に広まります。

ですが、
そのまま伝わるということは
まず、ありません。

国々によって、
発音が違うのですから、
表記もそれによって変化します。

そこで、
それぞれの国で
それぞれの国のローマ字表記が
発達していきました。

では少し
各国のローマ字表記を見てみましょう。

それぞれの国のローマ字表記

「た・ち・つ・て・と」で
いくつかの例を挙げてみます。

●ポルトガル語式ローマ字表記

ta   chi   tcu    te   to

●オランダ式ローマ字表記

ta   ti   toe   te   to

●ドイツ語式ローマ字表記

ta   tsi   tsu   te   to

●フランス語式ローマ字表記

ta   tsi   tsou    te   to

●英語式ローマ字表記

ta   chi   tsu   te   to

これを見ると
日本のローマ字表記は英語式ですね。

次に
日本語のローマ字表記の歴史を
見てみます。

日本ではいつからローマ字が使われていたのか?

日本で最初にローマ字が使われたのは
16世紀後半、室町時代のことだそうです。

当時、
ポルトガル人が
交易を求めて日本にやってきました。

イエズス会の宣教師たちも
布教のために日本にやってきました。

日本にキリスト教を広めるには
日本語を習得しなければなりません。

宣教師たちは
日本語を習得する手段として、
日本語の発音を書きとるのに
ローマ字を使ったのです。

日本人が英語を学ぶときに
英単語の上にカタカナで
読み方を振るのと同じですね。

当時は
ポルトガルとの交易が主であったため
ポルトガル式ローマ字表記
日本に入ってきました。

日本でのローマ字、途絶える

室町時代には
すでに
日本に入ってきたローマ字ですが、
その後
ローマ字は途絶えていってしまいます。

日本でのローマ字が途絶えた理由

1587年、豊臣秀吉は
キリスト教の神父の追放令(伴天連追放令)
を発布し、
キリスト教の信仰を禁止しました。

また、
江戸幕府も
封建国家体制の確立に
キリスト教は障害になると判断し、
慶長18年(1613年)
全国に禁教令を出し、
キリシタンを国外や奥州に追放しました。

そのため、
日本では
ローマ字が途絶えてしまったのです。

日本のローマ字の復活

いったんは途絶えてしまった
日本のローマ字ですが、
江戸時代中期、
蘭学(らんがく)が盛んになってくると、
ローマ字が復活していきます。

蘭学(らんがく)とは?

蘭学とは
江戸時代にオランダから伝来した学問のことです。

学の「」はオランダを意味し、
オランダ語で書かれた書物を
「蘭書」と呼びます。

江戸時代、
日本は鎖国政策をとっていましたが、
8代将軍徳川吉宗が、
キリスト教以外の書物に限り、
洋書の輸入を解禁したのです。

これにより、
長崎を中心に
蘭学ブームが起こりました。

ここに、
ローマ字が復活
しました。

余談

江戸幕府の8代将軍
徳川吉宗(在職:1716年~1745年)は
江戸幕府の中興の祖とも言われています。

徳川吉宗肖像画

とても聡明で、好奇心旺盛、開明的な
将軍だったそうです。
(そのため、洋書も解禁されました)

*全くの余談ですが
幼少期は手に負えないほどの「暴れん坊」だったそうです。
テレビドラマの「暴れん坊将軍」の由来は
ここにあるのではないかなあ、とひそかに思っています。
すみません。つい脱線してしまいました・・・

脱線ついでに、
享保13年(1728年)6月、
吉宗は自らの手で、
ベトナムから動物の象を輸入しています。

図版:享保14年渡来象之図 国立国会図書館蔵

象は長崎から歩いて、
その姿を人々に見せながら
江戸へと歩いていきました。

象を見たときの江戸時代の人々の
びっくりした姿が目に浮かびます。

そして
江戸では象の一大ブームが巻き起こりました。

将軍吉宗も
粋なことをしますよね。

 

また、
仁子(にご)が以前勤めていた日本語学校は
浅草にありました。(今はありません)

浅草の隅田川沿いは
桜の名所です。

隅田川の桜

隅田川沿いの桜

これも将軍吉宗のお蔭です

吉宗は
江戸の町の整備の一環(治水政策)として
隅田川堤に桜の植樹をしたのです。

将軍吉宗のお蔭で、
春になると
現代人の私たちは
隅田川沿いの桜並木を楽しむことができます。
(ありがとうございます!)

 

日本でのローマ字復活は
次回にしたいと思います。

 

ではではニゴでした。

 

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