日本語教師、架け橋に
国の半分が18歳未満の子供たち
2015年4月25日午前11時56分、
ネパールの首都カトマンズをマグニチュード7.8の地震が直撃。
その後も続く余震の影響もあり、広範囲にわたって建物が倒壊。
ネパールに甚大な被害をもたらしています。
ネパールは、人口のおよそ半分が18歳未満の子供たちです。
子供たちへの深刻な影響が心配されます。
日本語教師、架け橋に
地震後、日本は自衛隊・医療援助隊を素早く、現地へ派遣。
その活動をネパール人の日本語教師が支えています。
本当にありがとうございます。
同じ仕事をしている者として、
身の引き締まる思いがします。
心から感謝します。
ネパールと日本の絆
ネパール人の日本語教師の方々は、
自らも被災されています。
そんな大変な状況にもかかわらず、
連日、日本の医療援助隊を助けてくれているのです。
「大変な時こそ、ネパールと日本を結ぶ懸け橋になりたい」
その強い想いからです。
ネパール人日本語教師、ラザナさん
日本の医療援助隊は、首都カトマンズの公園、
2か所にテントを張り、活動を開始。
連日100人以上が
外傷や感染症などの治療に訪れています。
そこの通訳を担当しているのが、
カトマンズの日本語学校で教師をしている
ラザナ・カダギさん(女性・37歳)です。
患者と日本の医療関係者との
パイプ役となってくれています。
ラザナさんのオフィスや自宅も
地震の被害を受けました。
しかし、自分は日本語ができるのだから、
日本語教師なのだから、
「ネパールと日本のために働きたい!」
との強い想いから通訳をしてくれているのです。
ラザナさんの尊い行為から、
やさしさの輪が広がり、
今は10人以上の方が交代で
日本の医療隊を助けてくれています。
こうした方々のことを知ると
同じ日本語教師として、
自分も何か社会の役に立ちたいと
心から思います。
何もできないかもしれないけれど、
前には進もう!
ネパールってどんな国
戦後、日本とネパールは1956年に国交を樹立しました。
その十年後、1966年に、ラム・バルマ氏と大向良治氏らにより
カトマンズに日本語学校が設立されます。
1968年には、トリブバン大学国際言語学部に
日本語学科でき、日本語学習が始まりました。
また、1973年に設立された日本留学生同窓会ネパール。
ここは、南アジアで一番古い日本留学生同窓会です。
日本留学同窓会ネパールより
2011年5月現在、在日ネパール人留学生は2016人。
総外国人留学生数の約1.5%です。これらの学生のうち、
約40%が国費留学生です。
(国費留学生は、日本国政府・文部科学省からの
奨学金を受けることができます。)
日本へのネパール人留学生は、
南アジアの中で毎年増加傾向にあるそうです。
*前半の情報は、日経新聞5月8日に記載されています。
ではでは ニゴでした。