「ら」抜き言葉 多数派に
国語に関する世論調査
文化庁では1995年度から、「国語に関する世論調査」を始めました。
その調査の中の一つに、「ら」抜き言葉があります。
調査開始以来、
「食べれる」「見れる」といった「ら抜き言葉」を使う人の割合は
年々、増え続けてきました。
そして、今年ついに、
「食べれる」「見れる」を使う人のほうが、多数派となったのです。
調査方法
この世論調査では、今年(2016年)2月~3月、
全国の16歳以上の男女、3589人を対象に個別面接を行いました。
(有効回答数は1959人です)
「今年は初日の出が見られた」
「今年は初日の出が見れた」この二つの言い方のうち、どちらを使いますか?
上記のような質問に、対面方式で答えてもらったのです。
すると、
「見れた」の48.4%に対し
「見られた」は44.6%でした。
とうとう、「見れた」を使う人が、
「見られる」を使う人を追い越し、4ポイントも高くなりました。
(「わからない」という回答もあるため、合計は100%になりません。)
「早く出られる?」(44.3%)
「早く出れる?」 (45.1%)
「出れる」「出られる」も、わずかに「ら抜き言葉」が上回りました。
また、10代では、8割近くの人が「見れる」を使うという、
驚くべき結果が出ています。
「出れる」も10代~20代では、6割以上の人が使っていました。
「ら抜き言葉」は間違えか?
今後、「ら抜き言葉」を使う人の割合が増えていくのは間違いありません。
「ら抜き言葉」を使う人が多数派になれば、
「ら抜き言葉」のほうが正しい、ということになります。
いずれ、日本語のテキストにも「ら抜き言葉」が登場し、
私たち日本語教師が「ら抜き言葉」を教えることになるのは
時間の問題のようです。
どうして「ら抜き言葉」が使われるのか?
「(ら)れる」には、「受身」「可能」「尊敬」といった、
3つもの使い方があります。
それぞれの意味の違いを明確にするためには、違う形を使う方が合理的です。
そのため、違う形にしようという力が働くのです。
下の図を見てください。
見れる | 受身 | 可能 |
Ⅰグループ | kakareru | kakeru |
Ⅱグループ | mirareru | mireru |
見られる | 受身 | 可能 |
Ⅰグループ | kakareru | kakeru |
Ⅱグループ | mirareru | mirareru |
「見れる」の方は
「受身形」は「書かれる」「可能形」は「書ける」
「受身形」は「見られる」「可能形」は「見れる」となり、
とても整った印象です。
しかし、「見られる」の方は
「受身形」は「書かれる」「可能形」は「書ける」
「受身形」は「見られる」「可能形」は「見られる」となり、
バランスが崩れているのがわかります。
つまり、2グループ動詞の「見られる」だけが、
受身、可能が同形となっています。
歴史的変遷「~areru」から「~eru」へ
歴史的にみると、昔はⅠグループ、Ⅱグループどちらの動詞も
「可能形」は「書かれる」「見られる」でした。
「~areru」の形だったのです。
しかし、可能と受身が同じ形では、意味の違いがはっきりしない時があります。
そこで、Ⅰグループの動詞は「可能形」の方を、「書ける」というように
「~eru」へと変化させ始めます。
今では「書ける」は完全に可能形となり、「書かれる」は「受身形」というように、
違いが明確になりました。
変化が完成したのです。
Ⅰグループ動詞可能形の変化は
(書かれる⇒書ける)
終わったわけですから、
次はⅡグループ動詞の番です。
今Ⅱグループ動詞が
「見られる」から「見れる」への変化を始めたことは
歴史的必然とも言えます。
この変化は、もはや、誰にも止められないでしょう。
50年後ぐらいには、誰もが、「見れる」「食べれる」を
使っているだろうと思われます。
ではではニゴでした。